ヴァグ・パピアン
ピアノ
ヴァグ・パピアンは、リスボン・ヴィアナダモッタ国際コンクールで優勝した後、1979年にピアニストとしてのキャリアを開始する。まもなく、サンクト・ペテルブルクとモスクワでのリサイタルを含む、旧ソビエト連邦のすべての主要なコンサートホールにおける演奏会に招聘される。パピアンはモスクワ音楽院を卒業し、有名なマイケル・ヴォスクレセンスキー教授に師事、1982年にはサンクト・ペテルブルク音楽院で指揮学を学ぶ。彼は伝説的なイリヤ・ムーシン教授に師事したエリートグループの一人であった。 1984年、ヴァレリー・ゲルギエフは彼をアルメニアフィルハーモニー管弦楽団の副指揮者に招聘、3年後に芸術監督兼主席指揮者となった。この間、彼はロシアと西洋の作曲家による現代音楽を含む、多種多様な作曲とスタイルで200以上の演奏を行った。また、主要な交響楽団のほとんどにゲスト出演し、ピアニストとしても演奏を続けている。1990年にイスラエルに移住するまで、アルメニア国立オペラと共演、移住後は、ベールシェバ交響楽団の副指揮者のほか、エルサレム交響楽団の客演指揮者も務める。ピアニストとしての彼の国際ツアーには、バーゼル、バルセロナ、ジュネーブ、トロント、オタワ、ニューヨークでのコンサートのほか、南アメリカと極東でのツアーも含まれている。
パピアンは、ロンドンのバービカン・センターで英国室内管弦楽団を、また、新日本フィルハーモニー管弦楽団、イスラエル室内管弦楽団、エルサレム、モスクワ、ベオグラード、トロンハイム交響楽団で指揮し、2001年のエネスコ・フェスティバルではウィーン少年合唱団を指揮した。最近の活動としては、テキサス州ヒューストン・フェスティバルオーケストラ、指揮者兼ソリストとしてのマルメ交響楽団、韓国の水原フェスティバルでは、4000人の観客を魅了した。 2003年6月、パピアンは、伝説的なロシア・アルメニアの作曲家アラム・ハチャトゥリアンの生誕100周年記念プログラムでモスクワ新ロシア交響楽団を指揮、2003年10月にイスラエル、シンフォニエッタベエルシェバ、2004年にイスラエル北部交響楽団を指揮した。また、2004年には、イスラエル交響楽団のリション・ル・シオンとともにソリスト兼指揮者として、国際春祭りにも参加した。パピアンは、2004年4月にシリーズ「ThePopularConcerti」のコンサートでエルサレム交響楽団IBAの指揮者として招聘される。 2005年、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団でのデビューを果たす。
マキシム・ヴェンゲロフのリサイタルパートナーとして、パピアンはヨーロッパ、アメリカ、極東をツアーし、マキシム・ヴェンゲロフとEMIクラシックの録音を行った。
パピアンのオペラ作品としては、カール・ニールセンの『サウルとダビデ』、ビゼーの『カルメン』、モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』、ベッリーニの『ノルマ』など。彼は、アルメニア国立オペラ劇場の客演指揮者であり、テルアビブ・サミュエルルービン音楽院の教授でもある。